神戸地方裁判所  裁判長様

陳述書


1、 私は、平成17年4月下旬ごろ、事業に失敗して無職になり、仕事を探していたとき、親しくしていた友人の西川社長から電話をいただき、当時西川社長が経営していた兵庫区内の風俗営業店で働くことになりました。

  最初の西川社長との約束は、「赤松さんが風俗営業店の名義上の経営者で、実質は西川社長がオーナーである。ただ、経営がうまくいけば、赤松さんに譲っても良い。」ということで、私も懸命に仕事をしていました。
 なかなか売上も伸びず、経営も苦しくなってきたとき、平成19年8月に風営法違反で、西川社長、Y.Hさん、W店長が逮捕され、店は閉店せざるを得なくなったのです。
 私自身は、名義上の経営者ということで、事情聴取だけで逮捕はされませんでした。その後、何回も大阪国税に呼ばれ、すべてを正直に話しておりました。平成20年1月末、7回目の大阪国税の呼び出しがありました。この時は、税務署の人ではなく、なぜか神戸地検の検事さんが来て、私が西川社長に書いた「覚書」のことを聞かれ、その中の「親しい友人の仲介」とは誰のことかと聞かれたのです。もちろん、共通の友人である上脇市会議員のことですので、その通りに答えました。私は検事さんの意図がわからなかったのですが、後でこの「覚書」が私の友人である上脇市会議員の逮捕につながるとは思いもしませんでした。
私は、平成20年3月、神戸地検に国税徴収法違反(仮装譲渡)で逮捕・起訴され、同年6月に有罪判決(懲役1年・執行猶予3年)を受けました。
  この事件は、共犯者の西川が有罪(懲役1年6ヶ月・執行猶予5年)、同じく共犯者で黒幕として上脇市会議員に有罪(懲役1年6ヶ月・執行猶予3年)の判決が下されました。 しかしこれは西川と私が共謀して犯行を犯したもので、上脇氏は無実であり、完全な冤罪です。
西川と私の併合裁判でも、西川は一貫して「上脇先生に脱税の方法を教えてもらった。赤松も上脇先生の紹介でした。」と証言しており、全ての責任を上脇先生にかぶせておりました。西川は、前年の風俗営業法違反で、「懲役10ヶ月執行猶予3年」の判決を受けていたので、何とかして、上脇先生を事件の黒幕の主犯にして、自分の実刑を逃れようともがいていたのです。また、検察の狙いも上脇先生に罪を着せようと西川と同じことを考えていたのです。
判決は、予想に反して、西川は実刑を免れ、執行猶予5年でした。
判決の瞬間、西川の喜び方は尋常ではなく、また最前列で傍聴していたY.H女史は「やった、良かった」と声を上げて喜ぶという異常な光景でした。
判決文の中で、「共犯者上脇から経営の仮装譲渡を提案されると、云々」というくだりが有り、まさに西川の狙い通りになっておりました。
私の量刑には自分が罪を犯したという自覚がありますので納得しております。
この裁判では、私の国選弁護人から、「あなた自身のことを考えてください、ほかの人のことは気にしないように。」と言われておりましたが、上脇先生の関与に関しては、自分なりに否定をしていました。ただ私の中では、上脇先生の裁判で真実を証言すれば、無実は証明できると甘く考えておりました。
上脇先生の裁判の前に、検察に呼ばれて「赤松さん、あなたは検察側の証人として、証言するのですよ。取調べの時と同じように調書に書いてある通りに証言してください。」と言われました。
私は、本当のことを話すつもりでしたので、検事さんにも「私の思う通りに話します。」と申し上げました。
そして、平成21年3月に上脇氏の裁判があり、証人として出廷した私は、「西川社長と2人でやりました。上脇さんは何も知りません。私の調書は、検察に誘導されて、無理やり署名させられた検察の筋書き通りの嘘の調書でした。」と証言しました。
私は、裁判で真実を証言すれば、上脇さんの無罪は間違いないと信じていました。
ところが信じがたいことに判決は有罪で、彼は議員辞職をして無職となり、自己破産までして人生を悲惨なものにしてしまいました。
私の検察調書や、西川氏に書いた「覚書」が有罪の有力な証拠となったことは、本当に申し訳ないと十分承知していますが、何とか再度真実を話して、上脇先生の無実を証明したいとこの陳述書を書きました。

2、判決の中で、平成17年4月下旬ごろ、上脇先生が私に「西川社長は、店の売り上げが減って、追徴税を収めるのが大変で困っている。西川社長は、店を経営したままで、店を法人から全く赤の他人に譲渡したことにしたら遅滞している税金を払わなくて済むようになる。」「真ちゃんどないかなあ。名義人になってくれへんかなあ。」と頼まれた。
と赤松調書を引用して、上脇先生が黒幕のように認定しています。こんな変な関西弁は上脇先生は絶対に使わないので、大変な違和感を覚えました。

 もちろんこの言葉は上脇先生の言った言葉ではなく、全くのデタラメで、全て検事が勝手に作ったのです。 私と上脇先生の関係は友人でありますが、私から彼にお金がらみで頼むことはありましたが、彼がお金絡みで私に頼み事をすることなどは絶対にありえないことですし、そもそも上脇先生は税金がどうとか、経営がどうとかいう知識も興味もなく、全く欲のない人だからです。

それに、警察官と市会議員の経歴のある正義を愛する彼が、法に触れるようなことを私に頼んだりすることも到底考えられません。
私が「上脇先生から何も聞いていません。私と西川社長で話し合って二人で決めたことです。」と署名を断ると、検事は「赤松さん、西川社長も上脇先生も認めているのですよ、赤松さんが知らないというのなら、まだまだここに入ってもらうしかないですよ。なんで、そんなに上脇先生をかばうのですか。上脇先生は元警察官だけあって、さすがやねえ。全て認めたよ。」と聞かされ、「一体何を認めたのですか。」と尋ねると脱税指南とか名義変更の依頼に関与したというのです。
正直私の心も揺れました。検事からは「早く署名をして、この事件を終わらしたほうがあなたにとって得になります。何も迷うことはありません。」と繰り返し揺さぶりをかけられて責められました。
取り調べも何かといえば何故か上脇先生の名前ばかり主張してくるし、西川社長と私の二人でやったと説明しても、聞く耳を持たず、私の調書の最初には、いつも「西川、上脇、赤松の3人が共謀して」と書き出しており、最初から上脇先生を有罪にしたいという検察の意図がはっきりわかりました。

 私も懸命に抵抗していましたが、拘置所の独房に入れられ、毎日のように取り調べを受けていると、自分でも不安になって、自分自身に自信がなくなり、だんだんと検事の言うなりになってしまい、調書に不本意ながら、署名をしていきました。
 又、勾留期限の迫った起訴前の取調べでは、検事が「赤松さんを起訴するかどうか迷っているところだ。」と言われました。私は西川社長に加担協力した容疑は認めているので不起訴はありえないと思っていましたので、これは上脇先生の関与を認めたほうが良いとの明らかな利益誘導です。

 検察が証拠とした赤松調書(甲7号証)は平成20年3月22日付の調書で、まさに起訴前の時期で、検事が私に嘘(上脇先生は全て認めたよ)と利益誘導(起訴をしない)で繰り返し私を混乱させて、調書に署名をさせたのです。
 もちろん、署名をしたのは私で、責任を感じていますが、身柄を拘束されて、閉鎖された空間で全ての情報が遮断され、取り調べを受けると正常な判断ができなくなってしまいます。
 私は、いずれ裁判の時に本当のことを証言すれば、上脇先生の無実が証明できると自分に言い聞かせていたのです。
 後に、上脇先生の調書にも上記の判決文と同じ内容で、検事が作文した文章が、そのまま引用されているのを見ました。
 この文章が上脇先生の言葉ではない、全くの嘘であることは間違いなく、この内容を認定した判決は無効です。

3、西川社長に頼まれて、私が名義人を引き受けた状況について述べます。

法人の名義変更に失敗した西川氏は私に電話をかけてきて、仕事を手伝ってくれるように頼んできたのです。私は、実際に仕事を探しており本当のところは西川社長の店で働きたいと思っていたところでした。翌日に私が西川さんに電話をかけ、神戸駅で待ち合わせて、西川氏の事務所で会いました。
時期は平成17年4月下旬で連休前のことでした。

 私は「西川社長、仕事をさせてくれませんか、なんでもやりますから、」と話すと、西川社長は「実は、私も税金の支払いでまいっているんや、赤松さんに店をやってもらいたいんや」と店の内情を話したのです。
「私で出来ることなら、お手伝いしますよ」と言いますと、困っていた西川氏は私に「助かります。お願いしますよ。」と話が決まり、名義人になることになったのです。
 報酬については具体的な額を話しておりませんが、今までの西川社長との人間関係、名義人になることのリスクを考えると、少なくとも10万や20万ではなく、それ以上の報酬になることはお互いに分かっていたのです。
 実際に西川社長が支払った私への報酬は月額30万円でした。
 判決文の中で、私の証言を「どうして赤松から西川にそのようなお願いに行かねばならなかったのか、逆に、その際にどうして西川が赤松にこのような大切なことを頼んだのかといったことなど、その就労の経緯や2人だけで、共謀に至った理由などはあいまいであるし、正式な雇用契約が締結された様子もなく、その後に赤松の風俗営業への関わり方から西川と対立することになったことからしても、被告人の関与なくして、両者でもって犯罪を共謀できるだけの強い信頼関係が形成されることは考え難いことからすると、被告人の本件への関与を否定する諸事情を述べる赤松の公判証言は到底信用できるものではない。」としているが、この判決文は事実関係を全く無視しており、間違っています。

 風俗営業の形態から見て、雇用契約を結ぶような店はほとんどありません。出入りの激しい業界ですから、免許証か保健証のコピーと簡単な履歴書で雇用は成立しているのです。
 それに当時の私の職を求める必死な気持ちと、何とか名義人を作らねばという西川の切羽詰まった気持ちのうえに、2人の従来の信頼関係もありましたので、当然のように名義人を引き受ける話になっていったのです。
私はその日から店に入り、5月の連休もずっと店に行き仕事の様子を見ていました。
その頃1,2日経って、私は上脇先生に電話をして「西川社長のところで仕事をする。」と話しましたが、詳しいことは言いませんでした。
 私は毎日昼ごろから、夜中まで風俗営業の5店舗を順番に回りながら、仕事の内容を把握していました。連休明けの5月8日に西川社長から、「あすの午後1時に事務所に来てください。営業許可の打ち合わせをします。」と言われ、9日の午後1時頃、事務所に行きました。そこには、西川社長、上脇先生、恒松・M行政書士がいました。
 顔合わせに、西川社長が信頼している上脇先生にも声をかけたんだなと思いました。
 恒松・M行政書士は初めて会いました。西川社長から、「赤松さん個人で許可申請をやります。」と話があり、M氏が書類作成して、恒松氏が警察に同行することが決まりました。上脇先生は議会で忙しくすぐに帰って行きました。私と恒松・M氏が細かい打ち合わせのために近くの喫茶店に行き、話すことにしたのです。
 この許可申請に関しては、上脇先生は無関係ですし、もちろん、検察が言うような西川社長に私を紹介したことなどはなく、私と西川社長が勝手に行ったことです。
この時、西川社長は事務所に残っていました。
 その後、5月13日に恒松先生と兵庫警察署に行き、風俗営業許可申請の事前相談に行きました。以後は、書類作成をして許可申請し、無事に私名義で5店舗全てに許可が下りたのです。

4、この名義貸しを引き受けるときに西川社長からは、お互いは赤の他人ということにしてくれと言われました。

なぜかと聞くと、西川社長は「2人が以前からの知り合いということが警察にわかれば、当然名義貸しのことがバレる。そやから、赤松さんとはあまり付き合いはないことにしといてくれ。」と頼まれました。
西川社長が、検察の調べや裁判でも「赤松さんはよく知らない、2、3度あったぐらい」と話していたのは、このためかな思いました。
 もう1つは、検察が、上脇先生を関与させるために、「西川社長に赤松を紹介したのは上脇先生だ」と私の調書を作成したのです。 しかし、私と西川社長は数年にわたっていろんな付き合いをしてお互いにある程度の信頼関係があったのです。

 確かに、西川社長との最初の出会いは平成11年頃に上脇先生と一緒に食事をしてからの付き合いですが、その後は西川社長の金銭トラブルを解決したり、篠山の自宅に招かれたりしていました。
 また、事業資金の融資のときには、私の会社の社員を派遣して2000万の融資の口利きをしてあげたり、経理担当の社員を西川社長の事務所に紹介して働かせたりしておりました。
 私は、当時、韓国との貿易会社を経営しており、一時は事務所も2箇所出しており、西川社長は何度も私の事務所に来ていたのです。
 ですから判決文の中に「赤松の立場からしても、西川の事情をよく知っていたわけでもなく、被告人の紹介や説明、指示等がなければ、あえて西川の違法行為の一部をにない、捕まるリスクまで冒してこれに協力する特段の理由もなかったことからすると、その内容は合理的かつ自然であり、その信用性は高いというべきである。」とあるのは、事実誤認であり、私には協力する特段の理由があったのです。
つまり上脇先生の関与がなくても、西川社長と私は話ができる信頼関係が有り、しかも双方ともに私は仕事が欲しい、西川社長は名義人が欲しいとの事情があり、二人ともお互いの利益が合致し、納得して話し合い、二人で私が名義人になると決めたのです。
許可申請が私の名義になってから、国税に対する書類や報告書などは、顧問のY税理士と相談しながら、全て私が作成しました。
Y税理士は、サンゴールドの経理をすべて把握しており、西川社長はこのY税理士に任せっきりでした。

おそらく、西川社長に脱税の方法を指南したのは、経理の内情を全部知っているこのY税理士に間違いありません。
というのも、この間に西川社長から上脇先生の名前は1度も出ませんでしたし、サンゴールドの今後の方針もすべてY税理士に聞いていたからです。
私が西川に金を貸したという書類なども、日付と額を考えながら、必死に作成したのです。その結果、運良く大阪国税の目を欺き、国税は税の取立てを諦めたのです。
西川社長は書類作成が不得手で、すべて私に任せきりでした。
脱税の実行行為である店の敷金や銀行口座の名義変更などは、もちろん西川社長と私のふたりでやりました。
当然のことですが、上脇先生はまったく関与しておりません。

5、私は、仕事を真面目にやり、従業員からも信頼されるようになってきたのです。

ただ、西川社長が腹心として雇っていたY.H女史とは、最初は仲良くしていたのですが、些細なことから関係が悪化し、Y.H女史が目の上のたんこぶである私を嫌って、西川社長に私の悪口を吹き込むようになってきたのです。
「売上が悪いのは、赤松がごまかして自分の懐に入れている、従業員に西川社長は無能だと言いふらしている、店の女子に手を出した。」などと根も葉もないことを西川社長に言いつけていたのです。
西川社長からも時々意見や叱責を受けていましたが、私にしてみれば、私が懸命に仕事をしているのに、口ばかりで仕事をしないY.H女史の話だけを信用する西川社長に失望していたのです。
平成17年9月の中旬位に西川社長に呼ばれ、「私は、健康に不安がある。もし私が倒れたら、病気がちな妻の将来が心配だ。君は、名義人であるが、実際は私の店だ、もしも私に何かあっても、妻に店の権利を分けてくれ。ちゃんとした待遇を頼むぞ。念の為に一筆書いてくれ。」と言われました。そこで平成17年9月13日付で私が作成して西川社長に渡した書類が問題の「覚書」です。
西川社長が求めたのは、「奥さんに店の権利を任せる」ことと何故か「上脇先生との関係を書いてくれ」というものでしたので、簡潔な文章でも良かったのですが、私はあえて、名義貸しを含めてかなり詳細に経緯を記載しました。
これは、もしも、名義貸しが問題になった時に、「西川社長が私に依頼したもので、私は単に名義を貸しただけ」と、私の責任を少しでも軽くするために書きました。
それに、西川社長が上脇先生を信頼していることを知っていましたし、何かあると「赤松さん、そんなことを聞くと、上脇先生が泣くよ。」などと皮肉を言ってきますので、自分としては、少しイヤミを込めて、「覚書」の中に「親しい友人の仲介」という言葉を使ったのです。
この文書がこの事件で検察が証拠として利用し、判決でも度々出てくる「覚書」のことです。しかし、名前を出しているわけでもないのに、上脇先生と決め付けて、私や西川社長の調書に上脇先生であると断言して、いかにも関与しているように誘導しています。
もちろん、この件については、私と西川社長が取り決めたことで、上脇先生は全く知りませんし、何の関係もありません。
しかし、検察は、この事件で「覚書」を実にうまく利用して、上脇先生が赤松を西川社長に仲介して名義人に仕立てたとでっち上げ、上脇、西川、赤松が密接に関連して事件を共謀したようにストーリーを作り、3人の調書を作成したのです。
 とにかく、検察のやり方は最初に上脇先生を黒幕にして、それに西川社長が乗り、そして赤松を紹介したと自分たちが作った話の通りを調書にして署名をさせるという強引な手法で冤罪を作り出したのです。

6、結論 
今回の事件は、私と西川社長の合意の上で、2人きりで全てやりました。

名義人になったのは私と西川社長が双方の利益が合致して決めたことで、上脇先生はまったく関係ありません。
検察の嘘(上脇先生が全て認めた。)と脅し、「署名すれば起訴しない」との利益誘導に負けてしまい、検事の作文した調書に抵抗できず署名した私が悪いのです。また、自分の責任逃れに、うかつに上脇先生の関与を推則させる表現を覚書の中に入れて文章を作成したことも猛省しています。
しかし、私が上脇先生の裁判で証言したことが本当の真実です。
是非とも再審請求して上脇先生の冤罪を晴らしてください。私は、裁判で再度真実を証言させていただきます。



 赤松 眞一郎   押印



 認証
 嘱託人赤松眞一郎は、法廷の手続きに従って、本公証人の面前で
この書面の記載が真実である事を宣誓した上、これに署名押印した。
よってこれを認証する。


     公証人 署名 押印